投稿者: hazama

  • 「知っている」のに「できない」理由|認知の輪が広がるまで

    こんにちは、はざまです。

    今日は、「知っているはずなのに、なぜかできない」
    という話をしたいと思います。

    本を読んだ。
    動画も見た。
    調べた。
    方法論も理解した。
    それなのに、なぜか前へ進めない。

    そんな経験はないでしょうか。

    私自身、何度もありました。

    副業でも。
    仕事でも。
    営業でも。
    ブログでも。

    知識はあるはずなのに動けない。
    理解しているつもりなのに実践できない。
    そして気づけば、「自分には向いてないのかもしれない」と思い始める。

    でも今は、その見方を少し変えています。
    向いていないのではなく、まだ見えていないだけなのかもしれない。

    今日はそんな話です。

    《この記事で分かること》

    ・「知っているのにできない」理由
    ・ワーキングメモリーと学習の関係
    ・スキーマという考え方
    ・認知の輪という感覚
    ・自分を責めすぎないための視点


    「知っている」と「できる」は別

    私たちはよく、知ればできるようになると思っています。

    でも実際は違います。

    例えば料理。
    レシピを読んだだけで作れる人はほとんどいません。

    包丁の使い方。
    火加減。
    段取り。
    盛り付け。
    実際にやってみると、思った以上に難しい。

    知識はあっても、身体はまだ覚えていないからです。

    仕事も同じです。
    副業も同じです。

    知っていることと、できることの間には、
    思っている以上に大きな距離があります。

    方法論はある。でも動けない

    現代は方法論で溢れています。
    ブログの書き方。
    物販のやり方。
    投資の始め方。
    AIの活用法。

    調べれば山ほど出てきます。

    でも、方法論があることと、自分ができることは別です。
    むしろ情報が多すぎて、どれを信じればいいのか分からなくなることもあります。

    Aさんはこう言う。
    Bさんは違うことを言う。
    Cさんはさらに別の方法を勧める。

    すると、
    「結局どうすればいいんだろう」
    となる。

    知識が増えるほど混乱する。そんなことも珍しくありません。

    人間の脳には限界がある

    ここで関係してくるのが、ワーキングメモリーという考え方です。

    ワーキングメモリーとは、一時的に情報を保持しながら処理する脳の働きのことです。

    簡単に言えば、頭の上の作業机みたいなものです。

    でもこの机には広さがあります。
    無限ではありません。
    慣れていないことを学ぶ時、私たちは一つ一つを別々に処理しなければなりません。
    だから疲れます。
    だから混乱します。
    だから理解できないように感じます。

    例えば物販なら、
    ・売上
    ・利益率
    ・仕入れ
    ・入金タイミング
    ・支払い日
    ・送料
    ・在庫
    ・ルール変更
    などを同時に扱います。

    初心者が混乱するのは当然です。
    むしろ自然な反応です。

    上級者は何が違うのか

    では、慣れている人はなぜ平気なのでしょうか。
    能力が高いからでしょうか。
    もちろんそれもあるかもしれません。
    でもそれだけではありません。

    経験によって、情報をまとめて扱えるようになっているからです。
    認知心理学では、これをスキーマと呼びます。

    例えば初心者が10個の情報として見ているものを、
    経験者は3個や2個のまとまりとして見ています。
    だから余裕がある。
    だから判断が早い。
    だから全体が見えているように見える。
    でも最初からそうだったわけではありません。

    経験を通じて、少しずつ整理箱を作ってきただけです。

    認知の輪は少しずつ広がる

    私はこれを、認知の輪と呼んでいます。

    最初は小さな円しか見えません。

    例えば物販を始めたばかりの頃は、
    ・売れた
    ・利益が出た
    くらいしか見えていません。

    でも経験を積むと、
    ・入金タイミング
    ・支払い日
    ・送料
    ・利益率
    ・在庫回転
    ・発送方法
    ・関税
    ・ルール変更
    などが見えるようになる。

    つまり、経験によって世界そのものが広がるんです。
    だから、理解できないのは能力不足ではなく、まだ認知の輪が小さいだけという見方もできます。

    私も営業で同じ経験をした

    今は営業の仕事をしています。
    実は営業は二社目です。
    一社目は本当に苦しかった。

    「見て覚えろ」という文化でした。

    でも正直、見ても分かりませんでした。
    分からない人が、分からないものを見ても、分からないからです。

    商品知識もない。
    業界知識もない。
    会話の意味も分からない。
    それなのに、「見れば分かるだろ」と言われる。

    当然うまくいきません。
    自分は向いていないんだと思いました。

    今なら少し違う見方ができる

    今の会社では、段階的に教えてもらえます。
    すると、少しずつ理解できる。
    少しずつ話せる。
    少しずつ仕事になる。

    つまり、能力が変わったというより、
    認知の輪を広げる時間が与えられた
    という方が近い気がしています。

    あの頃の自分は、向いていなかったわけではなく、
    まだ見えていなかっただけだったのかもしれません。

    向いてないのではなく、途中なだけ

    人は何かを始めると、すぐ結果を求めます。
    できないと不安になる。理解できないと焦る。
    そして、向いてないのかもしれないと思う。

    でも本当にそうでしょうか。

    まだ認知の輪が広がっていないだけかもしれません。
    まだ整理箱ができていないだけかもしれません。
    まだ途中なだけかもしれません。

    そう考えると、少しだけ肩の力が抜ける気がします。

    一つ進んだ感覚が、次の一歩を生む

    私は、人を前へ進ませるのは大きな成功ではなく、
    一つ進んだ感覚だと思っています。

    昨日分からなかったことが分かった。
    昨日できなかったことができた。

    それだけで十分です。

    認知の輪は、そういう小さな積み重ねで広がっていくからです。

    だから、まだ理解できないことがあってもいい。
    まだできないことがあってもいい。

    それは失敗ではなく、途中の景色なのかもしれません。

    まとめ

    ・「知っている」と「できる」は別
    ・情報が多いほど混乱することはある
    ・ワーキングメモリーには限界がある
    ・経験によってスキーマが作られる
    ・認知の輪は少しずつ広がっていく
    ・理解できないのは能力不足とは限らない
    ・向いてないのではなく、まだ途中なだけかもしれない

    ・一つ進んだ感覚が次の一歩を生む

    もし今、「自分には向いてないのかもしれない」と思っているなら、少しだけ立ち止まって考えてみてください。

    本当に向いていないのでしょうか。

    それとも、まだ認知の輪が広がっている途中なのでしょうか。

  • なぜ情報を集めるほど、逆に止まってしまうのか

    こんにちは、はざまです。

    今は本当にたくさんの情報があります。
    物販。
    ブログ。
    AI。
    SNS。
    YouTube。
    情報発信。

    検索すれば、それっぽい答えはいくらでも出てきます。

    昔より情報にアクセスしやすくなったはずなのに、
    「何をしたらいいか分からない」
    と感じる人はむしろ増えているようにも見えます。

    そして実際、情報を集めるほど前に進めなくなる
    という感覚を持ったことがある人も少なくないのではないでしょうか。

    今日は、なぜ情報を集めるほど人は止まってしまうのか。

    そして、その状態とどう付き合えばいいのかについて考えてみたいと思います。

    この記事で分かること

    ・なぜ情報を集めるほど止まってしまうのか
    ・「知る」と「活かす」を分けた方がいい理由
    ・不安と情報の関係
    ・情報との付き合い方
    ・小さく進むことの意味


    情報を集めるほど動けなくなるのはなぜか

    結論から言うと、情報を集めるほど動けなくなるのは、知識が足りないからではなく、判断材料が増えすぎるからです。

    分からないことがある。
    不安になる。
    だから調べる。
    これは自然な流れです。

    しかし調べ始めると、言っていることが違う。
    やり方も違う。成功者も違う。

    すると今度は、「結局どれが正しいんだろう」
    という状態になります。

    そして、「もっと調べれば答えが見つかるかもしれない」とさらに情報を集める。

    気付けば、行動するために集めた情報によって、逆に動けなくなっている。

    そんなことが起きます。

    情報が多すぎると、人は判断しにくくなる

    認知科学では、人は処理できる情報量に限界があると考えられています。
    選択肢が増えれば増えるほど、判断は難しくなります。

    例えば、ラーメン屋に行ってメニューが3種類なら選べます。
    でも100種類並んでいたら、逆に決められなくなる。
    情報も似ています。
    知れば知るほど合理的になるように見えますが、実際には、選択肢も、失敗パターンも、リスクも見えるようになる。

    その結果、身動きが取れなくなることがあります。

    「知る」と「活かす」は別の作業

    ここで一つ大事だと思うことがあります。
    それは、知ることと活かすことは別ということです。

    現代は、何かを知った瞬間に、「で、それをどう活かすの?」と問われやすい時代です。

    本を読んだ。
    動画を見た。
    記事を読んだ。

    するとすぐに、「じゃあ何をやるの?」となる。

    でも本来、知識を得ることと、それを使いこなせることは別です。
    教育心理学でも、知識の獲得と知識の活用は別のプロセスとして扱われています。
    知ったからといって、すぐできるようになるわけではありません。

    しかし私たちは、知った瞬間に活かそうとする。
    だから苦しくなる。

    探索と実行は分けてもいい

    学習論では、情報を集める段階と、
    実際に行動する段階を分けて考えることがあります。

    探索と実行です。

    探索では、広く見る。調べる。知る。
    実行では、一つに決める。試す。進める。

    本来は別の作業です。

    でも現代は、探索しながら実行し、実行しながら探索し、さらにSNSで他人の成功例まで流れ込んでくる。

    だから頭が疲れる。

    だから私は、「今は探索の段階なんだな」と考えるようにしています。

    今すぐ全部活かさなくてもいい。
    まずは知るだけでもいい。
    そう考えると少し楽になります。

    岡潔の「情緒」という考え方

    自分がこう考えるようになった背景には、数学者の岡潔の影響があります。

    岡潔は、日本を代表する数学者の一人です。
    海外でも長く解けなかった難問を解いた人物として知られています。

    そんな岡潔が重視していたのが、
    「情緒」
    でした。

    普通、問題は論理で解くものだと思いますよね。
    でも岡潔は、数学は情緒で解くという趣旨のことを語っています。

    故郷の匂いを感じた時、ふっと懐かしさが立ち上がる。
    その感覚に近い形で、答えが姿を現すことがあるというのです。

    だから、無理に掴みに行かない。
    情報を沈殿させる。
    忘れるくらいでいい。
    頭のどこかに置いておく。
    するとある時、バラバラだったものが繋がる。

    私はこの考え方にかなり救われました。

    本当はやるべきことを知っていることも多い

    情報を集め続けていると、ある時こんな感覚になることがあります。

    「結局、自分がやるしかないんだな」と。

    本当にやるべきことは、案外最初から分かっていることもあります。

    でも、それはたいてい
    ・面倒
    ・怖い
    ・痛い
    ・失敗したくない
    ものだったりします。

    だから情報を探す。
    もちろんそれ自体は悪いことではありません。

    ただ、情報収集だけで前へ進めるわけでもありません。
    どこかで一歩踏み出す必要があります。

    一口だけでいい

    だから私は、一気に変わろうとしなくていいと思っています。
    本当に一口だけでいい。
    苦いものを一気に飲み込むのは大変です。
    でも一口なら飲める。

    今日は一口。
    明日も一口。

    そんな進み方でもいい。
    情報を全部理解してから進もうとすると、いつまでも動けません。

    だから、少し理解したら少し動く。
    また知る。
    また少し動く。

    それくらいで十分なのだと思います。

    それでも動けない時は

    そう言われても、どうしても動けない時はあります。

    腰が重い。
    気力が湧かない。
    考えるだけで疲れる。

    そんな時もあります。

    そういう時は、無理に動かなくてもいいのかもしれません。
    何かをしなければならない。
    そう思い続けること自体が、負担になっていることもあります。

    焦らない。
    立ち止まる。

    それもまた一つの選択だと思います。

    まとめ

    ・情報を集めるほど止まることは珍しくない
    ・原因は知識不足ではなく判断材料の増えすぎにある
    ・「知る」と「活かす」は別の作業
    ・探索と実行を分けて考えると楽になる
    ・情報は無理に使い切らなくてもいい
    ・沈殿させる時間にも意味がある
    ・一口だけでも前に進めば十分
    ・焦らず、自分のペースで進めばいい

    情報が多い時代だからこそ、全部を使いこなそうとしなくてもいい。

    まずは知る。
    そして必要な時に活かす。

    それくらいの距離感の方が、案外前へ進めるのかもしれません。

  • 一歩進んだ感覚が、明日を生む

    こんにちは、はざまです。

    今日は副業の話です。
    副業というと、お金の話を思い浮かべる人が多いと思います。

    実際、お金は大切です。

    生活を支えたり、選択肢を増やしたりする上で、お金が果たす役割は大きい。

    ただ、自分は副業の価値はそれだけではないと思っています。

    むしろ、お金以上に大きな価値があるのではないかと感じています。

    それは、

    「未来感覚を取り戻すこと」

    です。

    今日は、その話をしてみたいと思います。

    《この記事を読むと分かること》

    ・副業を「未来感覚」という視点から見られる
    ・なぜ小さな成功体験が大切なのか分かる
    ・副業がお金以外にもたらす価値を整理できる
    ・「一歩進んだ感覚」が人を前に進ませる理由が見えてくる


    未来感覚とは何か

    自分は副業の価値を、
    「未来感覚を取り戻すこと」
    だと思っています。

    未来感覚というのは、「明日また続きをやりたい」
    と思える感覚です。

    布団に入った時に、
    「明日はこれを試してみよう」
    「次はこうしてみよう」
    と自然に考えている状態。

    誰かに言われたからではなく、自分の中から湧いてくる次への興味です。

    会社の仕事でも同じ感覚を持てる人はいると思います。ただ、大人になるにつれて、そういう感覚を持つ機会は少しずつ減っていくようにも感じます。

    だから自分は、副業の価値をお金より先に、未来感覚にあると考えています。

    小さい頃の秘密基地みたいな感覚

    この未来感覚を考える時に、いつも思い出す出来事があります。
    子供の頃、近所の森に秘密基地を作っていました。

    大きな木があって、
    子供でも登れるくらい枝が広がっていた。
    そこにみんなで少しずつ物を持ち込んでいました。

    今日は足場を作った。
    明日はクッションを持っていこう。
    ブルーシートで屋根を作ろう。
    雨が降っても使えるようにしよう。

    そんなことを毎日考えていました。

    夜寝る時も、「明日また行こう」と思っていました。
    結局、その秘密基地は見つかって撤去されてしまいました。

    でも今振り返ると、あの時に感じていたものこそが未来感覚だったと思います。
    完成した基地が楽しかったのではありません。
    明日続きをやることが楽しみだったのです。

    大人になると未来感覚は失われやすい

    大人になると、
    毎日仕事をして、
    帰宅して、
    寝て、
    また仕事に行く。

    生活は回るかもしれません。

    ただ、その中で「明日これをやりたい」
    という感覚が薄れていくことがあります。

    もちろん仕事にやりがいを感じている人もいますし、それを否定したいわけではありません。

    ただ、自分自身の意思で「続きをやりたい」と思えるものを持つ機会は減りやすい。

    だからこそ、副業には独特の価値があるように思います。

    副業はお金より先に「前進感覚」をくれる

    副業をやっていると、大きな成功より前に、小さな前進がやってきます。

    記事を一本書いた。
    昨日より少し理解できた。
    改善点が見つかった。
    初めて反応が来た。

    本当に些細なことです。

    でも、その小さな変化が、「じゃあ次はこうしてみよう」につながる。

    つまり、昨日より一歩進んだ感覚が、明日を生む。

    自分はこれが副業の本質的な面白さの一つだと思っています。

    副業は「できない」から始まる

    副業を始めると、できないことばかりです。
    物販を始めた頃もそうでした。

    リサーチをしても商品が見つからない。
    何を見ればいいのか分からない。
    利益計算も分からない。
    感覚もない。

    本当に何もできませんでした。
    でも続けていると、少しずつ変化が出てきます。

    「これは需要がありそうだな」
    「これは危ないな」
    そんな感覚が育ってくる。

    梱包や発送もそうです。
    最初は全部自分でやっていたことが、
    やがてマニュアル化できるようになる。
    人にお願いできるようになる。

    それは派手な成功ではありません。
    でも確実に昨日より前に進んでいます。

    副業の面白さは、こうした小さな前進を積み重ねていけるところにあると思います。

    前進感覚は人生を豊かにする

    自分は、人が前に進む原動力は、意外とこういう小さな感覚なのではないかと思っています。

    もっとこうしたい。
    次はこれを試したい。
    少し良くしたい。

    この感覚が、ものづくりを生み、仕事を生み、
    社会を動かしてきたのではないでしょうか。

    もちろん世の中には様々な要因があります。

    ただ、「明日続きをやりたい」という感覚は、確実に人を動かす力を持っています。
    だから未来感覚を持つことは、人生を豊かにすることにもつながると思うのです。

    副業は未来感覚を取り戻すための切符かもしれない

    副業は単なる小遣い稼ぎではありません。
    もちろんお金は大切です。

    でも、お金だけを目的にすると、どこかで空白感が生まれることがあります。
    なぜなら、お金を手に入れた後も人生は続くからです。

    その時に残るのは、何を作りたいのか。
    何を続けたいのか。
    どんな未来を見たいのか。

    そういう問いです。

    だから自分は、副業を「未来感覚を取り戻すための切符」だと思っています。

    もし今副業を続けていて、思うように進んでいないと感じているなら、一度だけ振り返ってみてください。

    昨日より少しでも前に進んだことはなかったか。
    小さな変化はなかったか。

    未来感覚は、そういう小さな前進の中から育っていくものなのかもしれません。

    Q&A

    Q. 副業は結局お金のためではないのですか?

    お金は大切です。
    ただ、自分はそれだけでは続かないと思っています。
    未来感覚や前進感覚も大きな価値だと感じています。

    Q. 未来感覚とは何ですか?

    「明日また続きをやりたい」と思える感覚です。
    自分の中から自然に次の行動が生まれてくる状態を指しています。

    Q. 小さな成功体験に意味はありますか?

    あると思います。
    昨日より少し進んだ感覚が、
    次の行動を生み出すからです。

    Q. 副業をしているけど全然進んでいる気がしません

    最初はできないことばかりです。
    ただ、その中で少しずつ見える景色が変わっていくことがあります。
    焦らず小さな変化を見つけていくことも大切だと思います。

    まとめ

    ・副業はお金だけでなく未来感覚を取り戻す行為でもある
    ・未来感覚とは「明日また続きをやりたい」と思える感覚
    ・昨日より一歩進んだ感覚が、次の行動を生む
    ・副業は小さな成功体験を積み重ねやすい
    ・未来感覚は人生を豊かにする力を持っている
    ・副業は未来感覚を取り戻すための切符になり得る

  • 勉強時間は机の上だけじゃない|知識を定着させる“発酵”という考え方

    ≪この記事を読むとわかること≫

    * なぜ勉強しても「身についていない」と感じるのか
    * 一気に詰め込む学習が定着しづらい理由
    * 知識を“発酵”させるという考え方
    * 毎日10分でも理解が深まる理由
    * 時間を味方につける、本当の意味


    勉強というと、多くの人は

    「何時間机に向かったか」

    で考えがちです。

    でも、自分は最近それにかなり違和感を持つようになりました。

    本当に知識が定着する時間って、
    机に向かっている時間だけなんだろうか。


    本を閉じたあと。

    仕事帰りにふと思い返したり、
    ぼんやりしている時に疑問が浮かんだり、
    別の場面で急につながったりする。

    そういう時間も含めて、学びは進んでいるんじゃないか。
    最近はそんなことをよく考えています。

    この記事では、

    知識を「詰め込むもの」ではなく、
    「発酵させるもの」として捉える考え方

    について、自分の実体験をもとに書いてみました。

    簡単にできると思っていた

    小さい頃、自分は努力というものを
    かなり単純に見ていた気がします。

    テレビだったり、
    漫画だったり、
    映画だったり、
    本だったり。

    そこに出てくる主人公たちは努力をする。

    敵を倒すためだったり、
    試合に勝つためだったり、
    夢を叶えるためだったり。

    もちろんそこには苦しさも描かれていたはずなんだけど、
    自分はそれをかなり単純に受け取っていました。

    努力すれば報われる。
    好きなら続く。
    続ければ結果になる。

    そんなふうに、どこかまっすぐに信じていたんです。
    でも実際は全然違いました。

    中学校に入って野球を始めた時もそうでした。

    思ったようにボールは投げられないし、
    まともに捕れないし、
    バットを振っても当たらない。

    それだけじゃなくて、
    先輩後輩の上下関係とか、
    集団の空気とか、
    人の目とか、
    自分の中の波みたいなものとか。

    とにかく、やってみると全部が想像よりずっと難しかった。

    「できないまま留まる時間」に耐えられなかった

    苦痛だったんですよね。
    ただ痛いとか苦しいとかじゃなくて、なんていうんだろう。

    自分が少しずつ圧縮されていくような、
    あの窮屈さに近い感覚。

    しかも厄介なのは、
    その先に答えが見えないことでした。

    どこまでやればいいのか。
    何を続ければいいのか。
    どう進めば前に進めるのか。

    そういうものが全然わからない。

    だから自分はすぐ、

    「ああ、これは向いてないんだ」

    って結論づけて、離れてしまっていた。

    今思うと、自分はできないことそのものが嫌だったんじゃなくて、

    “できないままそこに留まる時間”


    に耐えるのがかなり苦手だったんだと思います。

    変化が見えない。
    成果が見えない。
    意味が見えない。

    その時間に耐えることができなかった。

    人はどうしても即時報酬に引っ張られる

    そうなると、
    人はどうしてもすぐ結果が返ってくるものに流れやすい。

    人間ってかなり即時報酬に弱いと思います。

    お酒もそうだし、タバコもそうだし、甘いものもそうだし、SNSもそうだし、ショート動画もそうだし、ゲームもそう。

    副業系の情報を見ていてもそれはすごく感じます。

    読むだけで、

    「これでもう未来が変わるかもしれない」

    みたいな錯覚を起こさせる文章って本当に多い。

    行動経済学でいう現在バイアスみたいなものですよね。

    未来の大きな利益より、
    目の前の小さな利益を優先してしまう。


    これは善悪の話じゃなくて、
    人間の性質なんだと思います。

    タイパ社会が見落としていること

    今はタイパとかコスパとか、
    そういう言葉がものすごく強い。

    時間をかけること自体が、
    どこか非効率みたいに見えてしまう。

    でも自分は最近、
    それは少し違うんじゃないかと思っています。

    外側の環境はどれだけ変わっても、
    人間の内部が変わったわけじゃない。


    テクノロジーは進化しても、

    自分が
    「わからないものとどう付き合うか」
    っていう根本は、そんなに変わっていない。

    どこまでいっても、やっぱり原始的な部分が残るんだと思います。

    勉強時間は「机に向かった時間」だけじゃない

    最近、
    そのことを強く感じたのが勉強時間について考えた時でした。

    資格でも何でも、

    「習得には300時間必要です」
    「720時間必要です」

    みたいな目安ってよくあります。

    でもずっと、
    自分はこれに違和感がありました。

    その時間って、一体何を指しているんだろうって。

    机に向かっていた時間。
    本を開いていた時間。

    もちろんそれもそうなんだろうけど、
    自分はそれだけじゃないと思っています。

    本を読んだあと。

    仕事帰りにふと思い出したり、

    「あれってこういうことかな」

    って考えたり。

    風呂の中でぼんやり関連づけたり。

    そういう時間も全部、
    学習なんじゃないかと思うんです。


    むしろ、
    そっちの方が大事なんじゃないかとすら思っています。

    知識は“もろみ”であり、発酵していく

    最近、自分はこれを

    知識の発酵

    みたいなものとして捉えています。

    本を読んだ瞬間に知識が完成するわけじゃない。

    あれはまだ、
    もろみなんだと思う。


    そこから対話したり、
    疑問を持ったり、
    調べたり、
    他の媒体で同じことに触れたりする。

    その関連づけの中で、
    少しずつ発酵していく。

    そしてその変化ってかなりゆっくりだから見えない。

    でもある時、
    急に立ち上がる。

    昔読んだ本や、
    昔観た映画が、
    何年後かに急に意味を持ち始めることがあります。

    心理学ではインキュベーション効果と呼ばれるらしいけど、
    自分はあれも発酵に近いと思っています。

    だから最近は、

    わからないまま持ち続ける

    っていうことがすごく大事なんじゃないかと思っています。

    わからないことは悪じゃない。
    すぐ答えが出なくてもいい。
    頭の中に問いを置いたまま、少し寝かせる。

    それだけで内部では何かが進んでいる。

    毎日10分の接続が知識を育てる

    最近、自分はこれを実験みたいにやっています。

    興味のある本を、
    毎朝10分だけ読む。

    通勤電車の中で、
    10分って決めて読む。

    どれだけ読めても読めなくても、
    10分。


    これは昔、
    小学校でやっていた10分間読書からヒントを得ました。

    10分ってちょうどいいんです。
    長すぎないし、短すぎない。

    朝のぼんやりした時間を使う

    不思議なんだけど、
    朝の少しぼんやりした頭って文章が入りやすい。

    完全に覚醒している時より、
    余計な情報が少ないからなのかもしれません。

    AIと壁打ちする

    読んだあと、
    自分はAIと壁打ちします。

    読んだことを話してみる。
    疑問をぶつけてみる。
    そうすると理解が輪郭を持ち始める。

    そしてそのまま一日過ごす。

    仕事中や帰り道に、
    ふとそれを思い出す。

    そういう時間ごと含めて、
    発酵が進んでいる感じがします。

    少しずつ触れるから、違和感が育つ

    この繰り返しをしていると、
    知識がかなり残るんです。

    動画を見た時に、

    「あれ、これ本で言ってたことと違うな」

    って違和感として気づけるようになる。

    これって、
    多分内部に比較基準ができてきたってことなんだと思います。

    一気に詰め込むより、

    少しずつ接続を切らさないこと

    の方がずっと大事なんじゃないかと思っています。

    評価を先に置くと、心は痩せていく

    即時報酬に流れてしまう理由のひとつに、

    人に評価されるかどうか

    を考えすぎることもあると思います。

    お金になるか。
    意味があるか。
    成果になるか。
    評価されるか。

    そればかり考えていると、
    心はどんどん痩せていく。


    そうじゃなくて、

    少しでも自分の中に残るか。
    少し心が救われるか。
    過去の自分を少しでも救えるか。


    そこを大事にした方がいいんじゃないかと思っています。

    誰かの役に立つかどうかは、
    そのあとでいい。

    時間を味方につけるということ

    最後に思うのは、

    時間を味方につけるって、
    効率化することじゃないのかもしれない


    ということです。

    時間を圧縮することでもない。

    昔の自分は、
    時間をかけても変化が見えないことに絶望していました。

    でも今は、
    もう一回だけ信じてみようと思っています。

    焦らない。
    すぐ結果を求めすぎない。
    毎日少しでも接続を切らさない。


    その中で、知識や感覚は少しずつ発酵していく。

    よくある疑問(Q&A)

    Q. 勉強時間は長い方がいいのでは?

    長時間やること自体が悪いわけではありません。

    ただ、自分の場合は一気に詰め込むと情報量が多すぎて整理しきれなくなることが多かったです。

    それよりも、

    少し触れる

    考える

    寝かせる

    また触れる

    この循環の方が、定着しやすいと感じています。


    Q. 10分だけで本当に意味はある?

    あります。

    重要なのは、その10分を起点にして、その日一日そのテーマとの接続が続くことです。

    10分で終わるのではなく、その後に思い返したり疑問を持ったりする時間も含めて学習になる。

    自分はそう考えています。


    Q. 理解できないまま進めても大丈夫?

    むしろ、それでいいと思っています。

    わからない状態を抱えたまま少し寝かせることで、後から急に意味が立ち上がることがあります。

    すぐ答えを出せないことは、失敗ではありません。



    Q. AIを使うと、自分で考えなくならない?

    これは使い方次第です。

    答えをもらうためではなく、

    自分の曖昧な理解を言語化して、疑問を深めるため

    に使うならかなり有効だと感じています。

    自分にとっては壁打ち相手として機能しています。

    おわりに|知識は急がず、発酵させればいい

    机に向かっている時間だけじゃない。

    考えている時間。
    思い返している時間。
    ぼんやり問いを抱えている時間。

    そういう目に見えない時間も全部含めて、
    学びなんだと思います。

    時間を味方につけるというのは、
    何かを急いで終わらせることじゃなくて、
    ゆっくり自分の中に染み込ませていくことなのかもしれません。


    もしここまで読んで、

    「なんかこの人、変なこと言ってるな」

    と思いつつも、
    少しでも引っかかるものがあったなら。

    たぶん、
    僕が書いているnoteの方も、
    わりと刺さると思います。

    あっちはもっと個人的です。

    日常の中でふと立ち上がった違和感とか、
    まだうまく言葉になりきっていない気づきとか。

    そういう、整理される前の思考をかなりそのまま書いています。

    このブログが“方法”を言葉にしている場所だとしたら、
    noteはその前段階にある、
    問いの発生源みたいな場所です。

    こういう少し変わった視点にピンとくるなら、
    のぞいてみてください。

    https://note.com/beruf

  • ストレスという言葉に振り回されないために|自分を見失わないための解像度の上げ方

    ≪この記事を読むとわかること≫

    * 「ストレス」という言葉が、自分を見えなくする理由
    * 好きなことをしていても負荷があるという感覚
    * 自分を見失わないために必要な「観察」の習慣
    * 観察者五行日記という、解像度を上げる方法
    * 内観を続けることで起きる価値観の変化


    「ストレス」という言葉は、便利すぎる

    最近よく思うことがあります。

    それは、

    「ストレス」という言葉は便利すぎる、

    ということです。

    何か嫌なことがあった時。
    疲れた時。
    うまくいかない時。
    なんとなく気分が重い時。

    僕たちはすぐに、
    「ストレスだ」と言ってしまいます。

    もちろん、
    その言葉自体が間違っているわけではありません。

    でも最近、
    自分はこの言葉に少し違和感を持っています。

    というのも、この言葉って、
    あまりにも多くのものを一括りにしすぎてしまうんですよね。

    焦りも、
    不安も、
    認知疲労も、
    刺激過多も、
    停滞感も、
    ざわつきも。

    全部ひっくるめて「ストレス」と呼んでしまう。

    それって、かなり乱暴なことなんじゃないかと思うんです。

    好きなことをしていても、人は負荷を感じている

    例えば、
    こうして文章を書いている時。

    僕はかなり集中して書いています。
    楽しいです。
    考えるのも好きです。

    でも、その最中に無意識に身体をかいたりすることがあるんですよ。

    これって結構面白い現象だなと思っていて。

    つまり、
    好きなことをしていても、
    内部では何らかの負荷がかかっている
    ということなんですよね。

    一般的に「ストレス」というと、

    苦しいこと、
    悲しいこと、
    嫌なこと、

    みたいに捉えられがちです。

    でも、人間が感じる負荷って
    もっと多層的なんだと思います。

    考えることそのものにも負荷があるし、
    創造することにも負荷がある。
    集中することにも負荷がある。

    好きなことの中にも、
    認知的な負荷はちゃんと存在している。

    ここを見落とすと、
    「好きなのにしんどい」
    みたいな違和感をうまく扱えなくなる気がしています。

    「ストレス」と一括りにすると、自分を見失う

    問題は、こうした細かな違いを全部まとめて
    「ストレス」
    というラベルで閉じてしまうことです。

    そうすると、
    自分の中で何が起きているのかが見えなくなります。

    それが焦りなのか。
    情報過多なのか。
    退屈なのか。
    社会的緊張なのか。
    単なる身体疲労なのか。

    あるいは、自分が成長しようとしている時の認知的な負荷なのか。

    それが分からないまま、

    「ストレスだから休もう」
    「ストレスだから気分転換しよう」

    みたいな雑な対処になる。

    これが、自分を迷路に迷わせる入り口なんじゃないかと思うんです。

    テクノロジーは進化しても、内面は自動では進化しない

    今の時代って、本当に便利です。

    知りたいことは検索すればすぐ出てくる。
    AIに聞けば整理もしてくれる。
    欲しいものもすぐ手に入る。

    外部環境は、ものすごい速度で進化しています。
    でも、その一方で人間の内部はそんな速度では変わりません。

    不安。
    比較。
    焦り。
    承認欲求。
    恐れ。

    こういうものは、
    意識して観察しない限り、
    勝手に成熟していくことはない。

    思考して、
    動いて、
    違和感に気づいて、
    振り返って、
    また考える。


    この繰り返しの中でしか、
    内面の解像度って上がらないんだと思います。

    自分を見失わないために、観察者五行日記をつける

    じゃあどうすればいいのか。

    ここで、自分がかなり効果を感じた方法があります。

    それが、観察者五行日記です。

    やることはすごくシンプル。

    一日の終わりに、5行だけ書く。
    ポイントは、「観察者として書く」ことです。

    例えば、
    「今日は最悪だった」ではなく、
    「会話のあと、胸のざわつきが残っていた」
    みたいに書く。

    感情に没入するんじゃなく、
    現象として記述する。

    これを毎日5行。

    この「5行」っていうのが大事です。

    少ないから続く。
    負荷が少ないから習慣になる。

    これを2〜3ヶ月続けると、
    だんだん違和感を察知しやすくなってきます。

    「あれ、今ちょっとざわついたな」
    「なんかこの場面で身体が固くなったな」


    そういう小さな変化が見えるようになる。

    そこから、
    「なんでだろう?」
    と問いが生まれる。

    その問いを深掘りしていく。

    ここから、
    自己理解が始まるんだと思います。

    内観を続けると、価値観が少しずつ軽くなる

    こういう話をすると、
    「それって何の意味があるの?」
    と思う人もいるかもしれません。

    自分も最初はそうでした。

    でも、続けていると確かに変化があります。

    それは、
    何かを得るというより、
    いらないものが少しずつ剥がれていく感覚です。

    お金。
    所有。
    評価。
    刺激。

    そういうものに対する執着が、
    自然と少し薄くなる。

    これは諦めじゃありません。
    無理やり納得させているわけでもありません。

    ただ、
    「別にそこまで振り回されなくてもいいか」
    と思える瞬間が増えてくるんです。

    すると、文章を書いている時間。
    朝の空気。帰り道。静かな時間。

    そういう何でもない瞬間が、
    ものすごく豊かに感じられることがあります。

    外の刺激を減らし、日常を見る

    だから最近は、
    不要なSNSから距離を置くこともかなり大事だと思っています。

    特にXみたいな場所は刺激が強すぎる。

    比較、断定、煽り、即時反応。

    そういうものが、
    自分の微細な感覚を全部かき消してしまう。

    だから少し距離を置く。

    その代わりに、
    日常を見る。

    空気。
    匂い。
    違和感。
    身体の反応。


    その小さな変化に目を向ける。

    そこにこそ、自分を見失わないためのヒントがある気がしています。

    その先に何があるかは、まだ分からない

    正直、この先に何があるのかは自分にもまだ分かりません。

    でも確かに言えるのは、
    不要なストレスは減りました。
    自然な前向きさが生まれました。
    人生に対して、少しフラットになれました。

    たぶんこれは、
    何かを足しているんじゃなくて、
    余計なものを少しずつ削いでいるんだと思います。


    もし今、なんとなく自分を見失っている感じがするなら。

    まずは一日5行。

    観察者として、
    自分を書いてみる。

    そこから何かが始まるかもしれません。


    もしここまで読んで、

    「なんかこの人、変なこと言ってるな」

    と思いつつも、少しでも引っかかるものがあったなら。

    たぶん、
    僕が書いているnoteの方も、
    わりと刺さると思います。

    あっちはもっと個人的です。

    日常の中でふと立ち上がった違和感とか、
    まだうまく言葉になりきっていない気づきとか。

    そういう、
    整理される前の思考をかなりそのまま書いています。

    このブログが“方法”を言葉にしている場所だとしたら、
    noteはその前段階にある、問いの発生源みたいな場所です。

    https://note.com/beruf

  • 完成には二種類ある― 発達障害、縄文、そして副業が続かない人のための時間設計

    ≪この記事を読むとわかること≫

    * 完成には二種類あるという仮説
    * 発達障害やタスク遂行の苦しさを別の角度から見る視点
    * 縄文遺跡から見えてきたもうひとつの完成感覚
    * 現代社会が前提としている「完成」の正体
    * 自分に合った完成様式を考えるための補助線
    * 延伸的完成を副業や学習にどう実装するか



    はじめに|これはまだ仮説の段階です

    これがどういうことに役に立つのかは、自分でもまだ測りかねています。

    これは、完全に整理された理論ではありません。

    最近、自分の中でいろいろ考えていることを、とりあえず言葉にしてみている段階です。

    ただ、ひとつ思っていることがあります。

    これはもしかすると、発達障害だったり、仕事や日常生活のタスクで苦しんでいる人に対して、ひとつの見方を提示できるかもしれない、ということです。

    世の中には、

    「できて当たり前」

    とされていることがかなり多い。

    締切を守る。
    逆算して動く。
    ゴールを設定して計画を立てる。

    それができないと、

    怠慢だとか、甘えだとか、努力不足だとか、そういう言葉で片づけられやすい。

    でも最近、自分は思うんです。

    それって、本当にそうなんだろうか。

    もしかすると、

    そもそも完成の捉え方そのものが違う人がいるんじゃないか

    と。


    縄文にかぶれて見えてきた違和感

    最近かなり縄文にかぶれています。

    縄文かぶれですね。

    本を読んだり、遺跡について調べたり、自分なりにいろいろ考えたりしているんですが、その中でかなり衝撃を受けたことがありました。

    縄文遺跡には、巨大な環状列石や立石、大型柱建物の痕跡があります。

    たとえば秋田県の大湯環状列石。

    あるいは三内丸山遺跡。

    調べていくと、こういったものって、

    「工期を決めて一気に完成させた」

    というよりも、かなり長い時間をかけて、何度も手を加えながら形成されていった痕跡があるんです。

    とくに三内丸山遺跡の大型柱建物は、千年近く、あるいは1500年規模で建て替えや更新が続いていた可能性がある。

    これがかなり衝撃でした。

    1500年かけて作ろう、なんて普通は思わないじゃないですか。

    現代人だったら、

    いつ完成するのか。
    工期はどれくらいか。
    どこが終点なのか。

    まずそこを考える。

    でも縄文のこういう痕跡を見ていると、どうもその感覚がしっくりこない。

    むしろ、

    とりあえず作る。
    あるところまで整ったら、それを完成とする。
    また必要になったら続きをやる。

    そういう感覚だったんじゃないかと思ったんです。

    そこから、自分の中にひとつの仮説が立ち上がりました。

    完成には二種類あるのではないか。

    現代社会を支える「直線的完成」

    ひとつは、僕たちが当たり前のように使っている完成です。

    これを、

    直線的完成

    と呼んでいます。

    これは、始まりがあって、明確なゴールがある完成です。

    そして、そのゴールに向かって一直線に進んでいく。

    たとえば学生ならテスト勉強。

    テストまであと二週間。

    そこをゴールとして設定して、逆算して勉強計画を組む。

    仕事なら納期。

    月末までに提出。
    この日までに納品。
    何日までに終わらせる。

    資格取得も同じです。

    未来のある一点を固定し、そこから逆算して現在を組み立てる。

    これが直線的完成です。

    そして現代社会は、ほとんど全部これで動いています。

    学校もそう。
    会社もそう。
    行政もそう。

    調べてみると、マックス・ウェーバーが論じた合理化された秩序にも、この感覚が通じています。

    やっぱり大きいのは、時計とカレンダーだと思います。

    時間を一分一秒まで区切り、同じ時間軸を共有する。

    そうすることで、大人数が同じ目標に向かって動けるようになる。

    だから現代で「仕事ができる人」というのは、多くの場合、

    直線的完成を他者と共有する精度が高い人

    なんですよね。

    もうひとつの完成|延伸的完成

    でも、自分は思うんです。

    完成って、それだけなんだろうか。

    縄文を見ていて、どうしてもそうは思えなかった。

    そこで考えたもうひとつの完成が、

    延伸的完成

    です。

    これは終着点が固定されていません。

    その都度その都度、整ったところまでを完成とする。

    そしてまたそこから伸ばしていく。

    ここで重要なのは、

    これは未完成ではない

    ということです。

    ちゃんと完成なんです。

    ただ、その完成が閉じていない。

    開かれている。

    たとえば外で橋を作っているとします。

    雨が降ってきた。

    現代的な感覚だと、

    「ああ、途中で終わった」

    ですよね。

    でも延伸的完成では違う。

    雨が降るまでに整えたところまでが、その日の完成なんです。

    そしてまた次に続きをやる。

    するとまた新しい完成が生まれる。

    完成が、

    完成 → 完成 → 完成

    と連続していく。

    これは、

    開かれた完成

    です。

    発達障害やタスクの苦しさを別の角度から見る

    ここで、かなり思うことがあります。

    もしかすると、発達障害と言われるものの一部。

    あるいは、

    * タスク管理が苦手
    * 締切が苦しい
    * 逆算がどうしてもできない
    * 未来の一点を固定すると思考が止まる

    そういう人たちって、

    直線的完成への適応が弱いだけなんじゃないか

    と思うんです。

    もちろんこれは医学的な診断の話ではありません。

    あくまで自分の仮説です。

    でも、自分はかなりここに可能性を感じています。

    未来の一点を置く。
    そこから逆算する。

    これが自然にできる人もいる。

    でも、それがどうしても苦しい人もいる。

    そういう人は、

    その都度整えながら、少しずつ伸ばしていく

    という延伸的完成のOSで動いているのかもしれない。

    そう考えると、

    それは怠慢ではなく、

    完成OSの違い

    として見えてきます。

    これはかなり救いになる見方だと思っています。

    大事なのは「逃げること」ではなく、知ること

    もちろん、

    「自分は延伸的完成タイプだから締切を守らなくていい」

    という話ではありません。

    現代社会はこれからも直線的完成で動いていきます。

    納期も締切もなくならない。

    大事なのは、

    自分がどういう完成感覚を持っているかを知ること

    だと思うんです。

    そこを知らないまま、

    「なんで自分はできないんだ」

    と責め続けるのはかなりしんどい。

    まず、

    完成はひとつではない

    という補助線を持つ。

    それだけでも、自分の見え方はかなり変わると思っています。

    では、どう現代社会と折り合いをつけるのか

    ここからが、実践の話です。

    じゃあ結局、現代に適応していくためにはどうしたらいいのか。

    ここが一番大事だと思っています。

    延伸的完成に引い出ている人っていうのは、その都度、

    何日後のために今これをやる

    とかっていうことがやっぱり苦手なんですよね。

    未来の一点を固定して、そこから逆算して動くっていうのが、どうしても重い。

    だから、そういう人は、

    小さく完成させていく

    っていう完成感で動くのがすごく大事かなと思っています。

    毎朝10分、本を読む

    これは自分が実際やってることなんですけど、毎朝10分、電車の中で本を読むんですよ。

    もう10分って決めてるんですね。

    なんで10分かっていうと、新書だったら1章ぐらいは読めるし、情報量を意図的にコントロールできるからです。

    頭の中の容量を食わなくて済むんですよね。

    だから、読んだ時に立ち上がってくる問いっていうのを、なるべく保持しておける。

    これがかなり大きい。

    その問いを保持しておくことで、日常生活の中で気づいたことと紐づけたりとか、仕事の中で見えたことと接続したりとか、別の本を読んだ時に急につながったりとかする。

    自分はこれを結構、発酵に近い感覚だと思っていて。

    読んだ時に立ち上がった知識とか問いっていうのは、いわばモロミなんですよね。

    まだ完成された答えじゃない。

    でも、それを時間をかけて寝かせていくことで、発酵していく。

    で、ある日ふと、

    「ああ、こういうことだったのか」

    って輪郭が立つ。

    自分は、何かを学ぶって結構この感覚が大事なんじゃないかなと思っています。

    直線的完成で動いてる場合だと、

    今日中にここまで読む
    今週でこの本を終わらせる

    みたいな考え方になると思うんですよね。

    でも10分っていうゴールはあるけど、その10分の中で何ページ読むかとか、どこまで読まなきゃいけないかっていう制約はない。

    だから極端な話、

    一行しか読めなくてもいい。

    それでも10分向き合ったなら、それで完成なんです。

    これって、延伸的完成を直線的完成の中にくび込んだやり方なのかなと思っています。

    副業は「やらなくてもいい」から難しい

    これって、ぶっちゃけ本業よりも、副業とかビジネスの時の方が大事かもしれません。

    副業って、自分の意思でやっていかなきゃいけないじゃないですか。

    やらないって決めたら、やらなくてもいい。

    誰にも怒られない。

    そこが難しい。

    やっぱり気負うんですよね。

    どうしようとか。

    ちゃんとやらなきゃとか。

    やったことないことをやろうとすると、それだけで認知負荷ってかなり高くなる。

    しかも外からの制約がない。

    だからこそ、

    もっと簡単に考える。

    もっと身軽に考える。

    これはかなり大事だと思っています。

    築古戸建てリフォームの話

    これは本で読んだ話なんですけど。

    築古の家をセルフリフォームして、それを賃貸として貸し出す副業をしている人がいるんですね。

    最初のうちは、毎週毎週、週末にコツコツコツコツ家を直していく。

    で、その人がどうしてるかっていうと、

    とにかく

    掃き掃除だけでいいからやろう

    って決めるんだそうです。

    それぐらいの気持ちで臨む。

    「今日は床を全部張り替える」とかじゃない。

    掃き掃除だけ。

    そうすると、不思議と作業性興奮が起きるんですよね。

    掃き始めると、

    じゃあもう少しやろうかな

    ってなる。

    これってかなり示唆的だと思っていて。

    要は、

    簡単なルールを決めればいい

    んですよね。

    10分だけ掃き掃除しよう。

    それで完成。

    そこから先は、動きたくなったら動けばいい。

    eBayも「5分だけ」でいい

    たとえばeBayでもそうです。

    毎日リサーチしなきゃと思ってても、なかなかできないことってある。

    そういう時は、

    もう5分でいいからパソコンを触ろう

    でいいと思うんですよ。

    極端な話、

    パソコンを立ち上げて、キーボードを触るだけでもいい。

    そこを完成にする。

    そうすると、触ってるうちに気づくことがあるんですよね。

    なんか使いづらいなとか。

    画面の配置こうした方がいいなとか。

    で、たとえばキーボードが使いづらいなと思って、新しいのに買い替えたとする。

    それだけでちょっとやる気が出たりする。

    そういう些細な気づきが、次の動きにつながる。

    やっぱり触ると、気づくことが増えるんです。

    気づくと、人間って調べたくなる。

    そこから少しずつ延びていく。

    これが延伸的完成なんだと思っています。

    終了条件は、もっと気まぐれでいい

    これは別に時間じゃなくてもいいと思っています。

    雨が降ったらやめる。

    花が咲く頃に一区切りにする。

    お腹がグーって鳴ったらやめる。

    くしゃみしたら終わる。

    それぐらいでもいいと思うんですよね。

    とにかく、

    なんか気まぐれにやめられるぐらいの完成感

    を持っておく。

    これってかなり大事だと思っています。

    自分に鉄の規定を敷くと、人って不思議なくらいそこから遠ざかっていくんですよね。

    だから、副業みたいに外からの制約がないものほど、軽い方がいい。

    おわりに

    やらなきゃいけないってわかってるのに、どうしてもできない。

    そういうことってあると思うんです。

    でも、それって単純に意志が弱いとか、怠けてるとか、そういう話じゃないかもしれない。

    完成の持ち方が違うだけかもしれない。

    だから、

    もっと簡単に。

    もっと身軽に。

    5分だけ。

    掃き掃除だけ。

    触るだけ。

    それを完成にする。

    その小さな完成を、少しずつ連続させていく。

    それが結果的に、ちゃんと前に進んでいく。

    もしこの記事が、

    自分が苦手としていることとか、なんかできないなって思ってることを、少しずつ克服していくきっかけになったら嬉しいです。